Dr Richard Bolstad is Transformations Principal Trainer

勝ち-勝ち

(c) リチャード・ボルスタッド& マーゴ・ハンブレット

Richard training in Japan

ある一般家庭での出来事:親としてあなたは、子供たちとそろって6時に夕食を食べたいと思っている。しかしちょうどその時間は、子供の好きなテレビ番組のある時間である。だから子供たちは文句を言う。これは誰の勝ちとなるか?

よくある職場での出来事:あなたは仕事中、バックにソフトな音楽をかけるのが好きである。しかし隣の部屋の同僚が、それが考えの邪魔になると言う。誰の勝ち?

これから述べていくが、上のような質問が、あなたが人生で成功していこうとするための「やる気」や、ごく身近な人たちに対する気持ち、自分を尊重する気持ち、さらに寿命にまでも影響するのだ。

私たちがNLP(神経言語プログラミング)の分野でやることの多くは、双方が勝てる葛藤解決モデルを目指しているという信念に基づいている。バンドラーとグリンダーは、「この方法を使えば、人々は自分の望むことがかない、なおかつ、問題に関係する他の人々の利害も尊重することができるような話し合いをしたいと思うようになるはずである。これは真実ではないかもしれないが、とても役に立つ作業理念である。それはとても効果的な結果を生むための作業を促すからである。この仮説に立てばいつでも、双方に満足のいく解決法の(妥協ではなく)オプションが見つかる」と言っている(Bandler and Grinder  1982, p 147)。 彼らの言うように、これは妥協(お互いがある程度勝ち、ある程度負ける)や、放任-譲歩(相手にゆずる)、あるいは威圧的行動(何が何でも自分の勝ちにする)などとはまったく異なるものである。
ここでは、その違いとそれぞれのもたらす効果をもっと明確にしたい。

私たちは、勝ち・勝ちアプローチの重要さを明確にしておくことが、NLPと、ひいてはこの地球の未来にとってどうしても必要だと思っている。NLPの一番最初のモデルの一人であるバージニア・サタイアは、その著書「人を作るPeoplemaking」のしめくくりに、次のように強調している。「私たちは、人々が武力や専制、盲従とステレオタイプによってお互いにかかわるのをやめ始めた時代を目撃しているのかもしれない。これは、古いやり方が死んで新しいやり方が生まれるのか、あるいはこの文明が滅びるかというレベルの問題である。私は、人間についての新しい価値を見出しながら、文明を滅亡から守っていこうとする方の一人である。あなたも今、そうであることを願ってやみません。」 (Satir, 1972, p303-304)

作業のためのいくつかの定義

葛藤解決を取り上げるには、起こりうる行動の定義をある程度明確にしておく必要がある。私たちの意図するところを明らかにしておくと、どの方法がより望ましいかを決めるときに役に立つ。「葛藤」とか「力」といった言葉は、いろんな人がいろんなふうに使っている。ここではそれらは、次のような意味とする。

葛藤 一人の人(Aさん)が、もう一人の人(Bさん)の行動(あるいはこれからする行動)が、自分(A)の個人的な目標やニーズを満たすのを困難にする、と思っているような状況。Bさんのほうはその問題をどうとも思ってないか、あるいは気づいてさえないかもしれない。

勝ち・負け  一方が(あるいは一人が)満足して、もう一方(あるいは少なくとも一人)が自分のニーズや目標が十分満たされないと感じるような、葛藤の解決法。

勝ち・勝ち  関係者が全員満足し、自分の目標とニーズが満たされたと感じるような葛藤解決法。

妥協  双方が、自分の目標とニーズの一部しか満たされず、残りは満たされないと感じるような、負け・負けの葛藤解決法。

とは、誰かにそのニーズと目標をいくらか満たす許可を与えたり(ごほうびを与える)、あるいはそれを阻止する(罰を与える)ことができることをさす。力は、どのような人間関係の中にも存在している(例えばあなたの目標やニーズのうち、それを得るのを私が助けてあげられるものが必ず何かある、など)。力が問題なのは、それが存在するということではなく、人がそれを勝ち・負け、あるいは負け・負けの葛藤解決に使おうとするというところにある。

力の使用  相手にあなたの欲するように行動させる(自分に服従させる)ために、相手の意向にかかわらず、賞罰を意図的に使うこと。勝ち・負け解決法を押し通すには、力の使用は不可欠である。また妥協には、相互の、バランスの取れた力の使用が必要である。

勝ち・勝ちの葛藤解決法はしばしばとてもエレガントなので、参加者が後から思い返してみて、それが葛藤だったと思えないほどである。2人の人が一つしかないオレンジが欲しいというのは、葛藤である。二人で半分こするのは妥協である。一人がオレンジをもらってもう一人がもらわないのは、勝ち・負けの解決法である。 しかしもし一方が、オレンジの皮をケーキに入れるのに欲しいと思っていて、もう一人は果汁が欲しいと思っているならば、双方ともが自分の欲しいものが手に入る。これが勝ち・勝ちの解決法である。これはあまりスムーズに行われるので、葛藤とは気づかれないかもしれない。その意味では、勝ち・勝ち解決法は単なる葛藤解決法であるというより、協調というものを最大限生かす生き方といえよう。

冒頭の家庭での問題を、勝ち・負けの解決法で取り扱うなら、子供にテレビを我慢させて食事に参加することを押し通すか、彼らにテレビを見させて自分は歯噛みするかのどちらかであろう。妥協を使うなら、子供たちに番組を半分だけ見させ、デザートだけみんなで食べるようにするということになるかもしれない。勝ち・勝ち解決法なら、番組をビデオにとっておいて後に見るとか、テレビを見ながら食事をするとか、食事時間をずらすということが可能だろう。では、その下に挙げた職場での問題を見て、それぞれの解決法の違いがはっきりわかるようになってほしい。

勝ち・勝ち解決法を見つけるための、NLPのモデルはリフレーミングで紹介され (1982, p162)、さらに、テリー・ブラッグによって次のように明確化されている(Terry Bragg  1995, p23)

4段階で葛藤を解決する:

1. 当事者たちの利害を明確化する
2. より高次の目的を明確化する
3. 同意の枠を得る
4. 一緒に解決法を話し合う

私たちは、感覚器官に従ったやり方でこれを実践する方法を、私たちの本、「コミュニケーションの変革Transforming Communication」で紹介している。ここでは、なぜそれが必要なのかに重点を置いて説明したい。人間の係わり合いのあらゆる場において、それが子育てであっても会社経営であっても、トレーニングルームでもベッドルームでも、あるいは権力を握る人たちの殿堂の中であっても、勝ち・勝ち的発想の生み出す優れた結果は証明されている。 バージニア・サタイアの夢を共有するNLP実践家の私たちにとって、この記事は私たちの知っていることをバックアップする証明の集大成である。

従順

勝ち・負け解決法が可能となるためには、一人の人が従順である必要がある。この従順がいかに問題であるかのもっとも明白なデモンストレーションは、60年代にエール大学で行われたスタンリー・ミルグラムの実験であろう(Gordon, 1989, p96-97)。この実験で被験者は、ベルトで縛られた「学び手」が一連の学びの作業をするのを見、彼が間違った答えを出すたびに徐々に電圧を上げながら電気ショックを与える操作をするよう指示された。被験者に知らされなかったことは、実はその「学び手」は俳優で、電気ショックは流れてないにもかかわらずそうであるかのように迫真の演技をしていたのである。彼はやめてくれと何度も懇願し、叫び、最後には死んだように倒れてしまう。この実験の本当の目的は、いったい何人の人が、白衣を着た実験者が目の前の人間を虐待し殺すよう冷徹に指示するのに従うのかということであった。実験者は被験者を脅すことはしないが、相手がひるんだとき、もっとお金を出すともちかけるのだった。結果は、男性女性、文化の違いを問わず、常に60パーセント以上の人が相手を殺すほうに行動したのだ。被験者は、実験者にもうやめたいと言ったり、震えたりどもったり、神経質な笑いを発したりうなったり、その他のストレスの兆候をあらわしたりした。しかし「学び手」が「死ぬ」まで指示に従い続けたのだ。
従順は美徳ではない。それはすべての美徳が死んだことを意味する。従順をほめたたえる風潮が、いろんな社会問題の原因となっている。例えば、子供たちが性的虐待を 受けても抵抗できないことなどである (Gordon 1989, p97)。英国、タヴィストック研究所のセオドア・マーモットはさらに深刻な報告をしている。彼は20年以上にわたって1万人の英国の公務員の健康を調査したのである。この間、一般事務員の死亡率は管理職の3.5倍にもなったのである。組織内での地位が高ければ高いほど、彼らの死ぬ確率は下がるのだ。それまでは、これは収入の差によるのだろうといわれていたが、マーモットの研究対象になった人たちは皆、良い収入を得ていたのだ。デイヴィッド・オルドリッジ博士はこれらのマーモットの発見について以下のようにコメントしている。「何かが、地位と健康を関係付けている…例えば心臓病について言えば、予測のつかない、自分ではコントロールのきかない問題に直面している人たち、それへの対応に個人的な判断を用いる自由があまりない人たち、また能力よりも低い仕事をさせられている人たちは、心臓病の発病と、死の確率が高いのだ。」 (Aldridge, 1997, p74) ミルグラムのメタファーを使うなら、従順は「学び手」を殺すだけでなく、しまいには私たちをも殺してしまうのだ。

罰を与えること

罰を与えることの効果についてはもはや明白であろう。例えば、子供に罰を与えることの効果についてなされた研究について考えてみよう。子供のときに頻繁に体罰を受けた人は、そうでなかった人に比べ、配偶者を殴る傾向が4倍にもなるのだ(Gordon, 1989, p72)。男の子を対象にしたある研究によると、ひどく厳格に、かつ罰をもって育てられた子は、強い自責、自殺、事故の多発という傾向があるそうだ。また別の研究では、自尊心の低い子供は、その親が、理性よりも罰を多用しているという (Gordon, 1989, p90)。コロンビア大学の心理学者、グッドウィン・クーパーによると、子供のころ罰をたくさん受けた人は、そうでない人よりも、他者との対人関係(目上の人とも、同等の人とも)がうまく結べず、不安度が高く、罪の意識と不幸せ感も強いという (Gordon, 1989, p91)。また、 E・ マコビーと J・マーティンは、権威的な親のもとで育った子供は、そうでない子供に比べて「良心」が余り発達せず、自制があまりきかず、かつ引っ込み思案がちになると報告している (Gordon, 1989, p91)。

B・.F・スキナーが50年代にした研究でも、上記のような結果が人間、動物を問わず現れることが証明されている。スキナーの発見を要約してジョン・プラットがこう言っている。「罰は、毎回即座に与えられるのでなければ効果がない…. そして罰されたその行動は、逃げたり罰を逃れようとしたりあるいは復讐しようとする別の行動とセットになって繰り返される。」これが、ガラスが割られるのは小さな商店ではなくいつも学校だということの説明だとスキナーは言っている。また罰には、ほかにも一般的な結果がある。罰を受ける動物や子供は萎縮し、自信と創造性を失い、あるいは反抗的になる。また罰を受ける子供は、長期間継続する不安と罪悪感をもつようになる (Platt, 1973, p29)。

支配し罰を与える側の人間にも、相当なダメージがある。マリリン・フレンチは、「世界を牛耳るものには休日というものがない…奴隷を押し込めておくには自分もそこにいるか、またはその奴隷を従属させる管理者を任命しないといけない。他者を支配したいという欲求は逆噴射する。それは満足をもたらすことはないし、支配者を罠にはめてしまうのである (French, 1985)。」トマス・ゴードンはある大会社の社長の発言を引用している。「葛藤を解決するのに権力を使っていたときは、自分のすばやい解決力を誇りに思っていた。しかし問題は、自分の決めたことへの他者の抵抗を納めるのに、解決法を思いつく10倍もの時間がかかったことだ。」 (Gordon, 1989, p75).

賞を与えること

このように、罰を与えることの危険は比較的よく知られている。面白いことに、多くの人が、それでは賞を与えることは、もっといいことなのだろうと思っている。これは、実験に使ったハトに食べ物のごほうびと電気ショックで賞罰を与えたB・F・スキナーには有効な考え方かもしれない。しかし現実には、賞と罰の間にはまったく差がないのだ。よい子にしないと映画に連れて行ってあげませんよ、と脅されたことのある子供にきいてみると良い。研究によると、罰を良く使う親は、賞も良く使うし、その反対も真実だという。同じことは教師についても言える (Kohn, 1993, p51) 賞と罰は、同じ「力」というコインの裏表なのだ。

アルフィー・コーンは、賞を与えることは当事者に怒りを産み、人間関係にダメージを与え、冒険心を摘み取り、また最良の結果を引き出さないということを、膨大な資料を提供して主張した。子供に算数ゲームをさせた研究が最もこのことを良くあらわしている(Kohn, 1993, p39)。実験者は、無作為に選んだある特定の算数ゲームをしたときだけ子供たちに賞を与え、子供が他のゲームをしたときには無視した。当然、子供は賞のもらえるゲームを選ぶ。12日間続けたところで、賞を与えることをストップすると、子供たちの、賞をもらえたゲームに対する関心は、実験を開始する前よりも下がってしまったのだ。さらに他の多くの研究が (Kohn, 1993, p42-43)、正しい答えを出すたびに賞をもらう子供が、だんだん解答率が下がり、その作業を楽しまなくなる(彼らの関心が、作業よりも賞に移ってしまう)ということを証明している。

また大人に問題解決をさせる研究でも、賞を与えられた人たちは、ただその作業をするようにといわれた人たちの2倍も時間がかかった。減量プログラムや禁煙プログラムをやってみると、最初の大きな前進を除いては、前進すれば賞をもらった人たちは結局脱落し、前よりももっとたくさんタバコを吸うようになりさらに、そのことを隠す(うそをつく)という結果になった(Kohn, 1993, p39-40)。リチャード・ガッツォが職場での奨励制度についての98の研究を分析した結果、賞を与えることは全体の生産性や勤続年数、欠勤率に対してまったく影響を及ぼしてないことがわかった。

競合

葛藤解決の勝ち・負け的アプローチの一切は、一人の人間が勝つにはもう一方は負けなくてはいけないという信念に基づいている。この考え方は、西洋でポピュラーな、競合を賛美する風潮に結晶している。アルフィー・コーンは彼の著書「競争はやめよう No Contest」の中で、「他者を蹴落とそうとするのは、他者と協力しようとするよりも良い結果を生むのだろうか?」と言っている。 彼はまた、この質問に関する100以上の研究を、デイヴィッドとロジャー・ジョンソンが1981年に分析した結果を報告する。65例が競合よりも協調のほうがうまく行くと結論し、8例が競合のほうがよいと言い、36例では両者に違いがなかったという(Kohn, 1986, p48)。と言うことは、一般的には人は、競合してないときのほうが成功しやすいと言える。(後ろにどれくらい迫っているか振り返ってみた経験のある陸上選手なら誰でも承知であるように。)

さらに、個人の競争的な性格(勝ち・負け的発想の背後にあるメタプログラム)も、成功という観点からは有害なものなのだ。ロバート・ヘルムライクは、おおぜいの大学院生、科学者、ビジネスマン、飛行機のパイロットたちを調べ、そのすべてのケースにおいて、競争心は彼らの目標達成にネガティヴに働いたと報告している。彼は特に、ビジネスの分野において、「優秀なビジネスには、競争心は不可欠だという主張をドラマチックに論破した」研究結果にショックを受けたと言う(Kohn, 1986, p 52-53)。

勝ち・勝ちの利点

これらのことが示しているのは、協調と勝ち・勝ち的思考が高度に効果的だということである。ボルボ者の社長であるペール・グーレンハマーは、勝ち・勝ちの葛藤解決法をスウェーデン工場のマネジャーたちに使わせたところ、欠勤が50パーセント減少し、雇用者の入れ替わりが25パーセント減少し、そして品質の向上にもつながったと言っている (Gordon, 1978, p 1-4)。またチャールズ・マンツとヘンリー・シムズが、産業の分野において、力によらない自己管理の方式を試したところ、「従来のやり方と比べて、生産性向上とコスト低下が30から70パーセント実現したという (Manz and Sims, 1995, p17)。

ボストン大学のロバート・シーダーは、子育ての分野での勝ち・勝ちの葛藤解決法を調べた26の別々のレポートを見て、この解決法が、他のどの方法よりも際立って効果的だったこと、特にそれが子供の自尊心と協調性の向上についてそうであったと述べている(Cedar, 1985)。勝ち・勝ち解決法を学んでから6ヶ月後、親たちは引き続き子供へのすばらしい理解、肯定的な感情と尊敬を示し、子供たちもより高い自尊心を持ち、親が自分を受け入れているという感じも強かった。他の研究でも、親が勝ち・勝ち解決法を使う子供たちは、IQが伸び、子供に譲歩するような親の子供は変化なく、独裁的な親の子供たちはIQが下がったことを報告している(Baldwin, Kalhoun and Breese, 1945)。

他のいろんな人間関係においても、結果はほぼ同じである。心理学者マーク・ケスラーとジョージ・オルビーは、感情障害が何によって引き起こされるかについて書かれた論文(381の研究)を調べ、次のように結論している。「どこを見ても、どの社会研究を見ても、人間のストレスと苦悩の原因は、大体においてなんらかの力の過剰が関係している …それは、力を劇的に減らしコントロールすることができれば、人間の精神的な健康にかなり貢献するという仮説を導くに十分なくらいである。」 (Gordon, 1989, p230).

勝ち・勝ち技法はどこまで有効なのだろうか?地域全体に適用することは可能なのか?いつかそれが、今私たちが政府と呼んでいるものに取って代わるということはあるだろうか?エイモリー・ローヴィンスは(ロビンス:1986、p400)、コロラド州スノウマスのロッキー・マウンテン研究所のリサーチ部長である。彼の政治的関心は主に、環境にやさしい電力開発を推進することである。彼はそれを、彼の言うところの「合気道政治」を使って実行している。彼は電力会社と一般庶民の基本的なゴールを聞きだし、例えば原子力発電はどちらのニーズもあまりよく満たさないことを証明して見せる。あるときには彼は、議会が計画中の巨大な原子力発電所についてのヒアリングの場で発言した。その会社は、それまでにすでに300万USドルもこの発電所のために使っていた。しかしローヴィンスは、原子力によらないもっと小さな電力源のほうが、会社にとっても一般住民にとっても良いということを、彼らに信じさせることに成功したのだ。電力会社は300万ドルの損失を逍遥と受け入れ、彼の提案を取り入れることにしたのだ。それ以来彼は、他の電力会社からもコンサルタントとして雇われるようになった。また別のときには、議会は燃料節約と耐寒住宅を推進する運動を始めた。これが電力の消費を劇的に減らし、そのため彼らはそれから2年の間に、借金を返した上に地方税を3回も引き下げることができた。その間、一般消費者は毎年、燃料費を160万ドルも節約している。

いつも?

勝ち・勝ちアプローチはいつも「最良」の解決法なのだろうか?もちろんそうではない。時には、勝ち・負け技法の ネガティブな効果を、あなたのある価値観が帳消しにすることがある。例えば、もし私が道路を渡っていて、やってくる車に気づかなかったとしたら、あなたは私を引っつかんで引き戻すかもしれない。「私の意思に反して。」実際、本当にそうなったらあなたにそうして欲しいと私は思うだろう。これは、これまで述べてきたことと矛盾するものではない。それは私たちに、最もすばらしい行動基準も、すべてのことを説明するわけではないことを教えてくれている。しかしながら、そのようなことは私たちが思うよりもずっとまれであることを、次の単純な話が示してくれるだろう。

2人の著者が(リチャードとマーゴ)最初に友人同士であり、別々の家に住んでいたとき(訳注:後に2人は私生活でもパートナーとなる)、私たちはそれぞれ、子持ちの独り者だった。 ある夜、リチャードはマーゴの家を訪ねていたのだが、そのとき彼の6歳の息子フランシスの寝る時間(これを親子は勝ち・勝ち技法で決めてあった。フランシスは寝る前にリラックスできるよう、短いお話を読んでもらうのが好きだった。リチャードは、本を読んだりして息子の相手をするのは8時以降にはしたくなかった。だから毎晩8時に子供が寝るというのは、双方にとって良い決定だったのだ)よりも遅くなっていた。この夜はたまたま、リチャードはマーゴの家を訪ねて話をすることになっていた。リチャードは、この晩はフランシスが少し遅くまでおきていてもかまわないことにしようと思っていたので、フランシスに、彼がマーゴと話している間テレビを見ているように言ったのだった。

しかし、フランシスは、大人たちが話している間、リチャードの体をよじ登る遊びがしたい様子だった(子育ての初期には、よじ登られるのはよくある職業的危険である)。リチャードは「マーゴのスペアのベッドに行って寝てもかまわないよ。あるいはテレビを見てもかまわない。でも今僕は話を聞こうとしていて、それが君が僕によじ登っていると良く聞くことができない」と言った。するとフランシスは「では」と切り出して、「僕は、お互いが満足するようにこの問題を解決したいんだ」

さて、リチャードは彼に部屋を出て行くよう命令する準備がすっかりできていた(時には力を行使しないといけないときもあるのだ、と思って)。しかしフランシスのこの発言にリチャードはうっつまってしまった。マーゴの前で少し決まり悪かったが、ほかに解決法がないことがわかっていたので、こう言った。「うん、僕もいつもみたいに解決したいんだけどね。今日はほかに方法がないよ。」

「僕は、お互いが何に困っているか話してみるのがいいと思う」と彼は提案した。

「わかった」とリチャードは同意したが、ここでは勝ち・勝ち技法はうまく行かないことをフランシスにさっさと証明して、マーゴとの話に戻ろうと思っていた。「僕が困っているのは、僕はマーゴと話がしたいと思っていて、君の困っているのは、君は僕と遊びたい。そういうことだろう?」

「違うよ」と彼は言った。「僕はとっても疲れてるんだ。寝たいんだけど、スペアのベッドはいやだ。知らない部屋で怖いから。だけどテレビを見るのもいやなんだ。」

これはリチャードには驚きだった。「そりゃそうだ」と返した。「だけど、これは致し方ないよ。君はテレビを見るか、あの部屋で寝るしかないんだ。」

「ほかにいいアイデアか解決法はないの?」とフランシスが聞いた。「ないよ」とリチャード。わかりきった質問だと少しうんざりして。

「僕にはあるよ」と彼は言って、双方の問題を解決できる方法を5つも挙げたのだ。これにはリチャードは再度、少なからず驚いた。.

「わかった。そのうちのどれでもいいよ」とリチャードは同意した。

フランシスは「このうちのどれが一番いいかチェックするのがいいと思うな」と提案した。

彼らはそうした。そして選ばれた解決法は、フランシスが毛布にくるまって、リチャードの足元に横になるというものだった。5分と立たないうちに彼は安心して気持ちよく眠り、彼自身とリチャードのニーズを完璧に満たしたのだった。 当然ながら翌日、リチャードは昨夜の対処法がどうだったのかチェックしてみた。「昨日の問題解決は僕がなかなかうまくやったよね、フランシス?」するとにやりとした笑いが返ってきた。

リチャード・ボルスタッドとマーゴ・ハンブレットは「コミュニケーションの変革Transforming Communication」の創始者である。マーゴは2001年に亡くなったが、リチャードには次の宛名で連絡をすることができる。

Phone/fax +64-9-4784882, E-mail learn@transformations.net.nz,
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